140916 近代化遺産「遠賀川橋梁」訪問。
2014年09月16日

JR筑豊本線・福北ゆたか線、中間駅~筑前埴生駅間の中間市遠賀川河川敷に架かる遠賀川橋梁。

映画「三丁目の夕日」にも登場した鉄橋なのです。

そして、この河川敷は私たち親子がゴミ拾いを始めた場所でもあります。


参考資料「北九州・筑豊の近代化遺産100選」によると、この現存するレンガ造りの
橋脚は複線開通時の1908年(明治41年)製とのこと。
現在の橋脚と橋梁の様子です。中間駅側から筑前埴生駅方向を見ています。
(右岸側から左岸側を見ています。)

上の写真の赤ラインの部分に1891年(明治24年)に石炭輸送のため当時の筑豊鉄道興業が
若松~直方間を開通させた単線の橋脚があり、
その後、1908年(明治41年)に単線時の橋脚に増設する形で複線化されました。
現存するレンガ造りの橋脚は複線化の時のもので、青ラインが上り、赤ラインが下りでした。
上り、青ラインにはイギリス製のトラス橋が架けられ、明治24年に開通した単線時(複線時下り)の
橋梁は1910年(明治43年)に同じくイギリス製のトラス橋に架け替えられました。
さらに、石炭輸送増強のため、1923年(大正12年)に複線の橋脚の上流側にコンクリート製の橋脚、橋梁(国産のトラス橋)が
増設され(白ライン)三線化となりました。
(この部分が現在の下り線です。映画にもでました・・・)
(この部分が現在の下り線です。映画にもでました・・・)
1954年(昭和29年)に複線に戻るまで、遠賀川には三つのトラス橋が架かっていたのです。
そこで、この三トラス橋の写真はないかと、史料館や図書館を探すと・・

いのうえ・こーいち著「筑豊 能登 碓氷峠」という本の表紙に複線後の写真が載っていました。
左の山影は確かに筑前埴生駅から遠賀川橋梁を見たものです。
右が下りの1923年(大正12年)製の
国産トラス橋(白ライン)、左が1910年(明治43年)製のイギリスのトラス橋(赤ライン)。
ここでも国産とイギリス製とコンビを組んでいたのです。

筑前埴生駅ホームから中間駅方向を見ています。
書籍の表紙の写真は軌道敷内か、それに近い場所での撮影のようで、
いくら無人駅とはいえ、ホームから降りての撮影はできません。
アングルの違いと、現在は電化されていますが、信号の位置も合致しますし、
国産のトラス橋の構造も一致します。
残念ながら三トラス橋の写真は未だに見つからず・・・いつか紹介できる日を楽しみにしたいと思います。
そこで、疑問が・・・青ラインに架かっていた1908年(明治41年)製のトラス橋(12連)は・・・

JR東日本/大糸線の高瀬川橋梁に8連、JR東日本/左沢線の最上川橋梁に3連、
そして、平成筑豊鉄道の彦山川橋梁に1連転用、彦山川橋梁以外は現存しているとのことです。
一方、赤ラインに架かっていた1910年(明治43年)製のイギリスのトラス橋は、
老朽化のため1971年(昭和46年)に当時の橋脚にコンクリート製の橋脚を増設し、
同じくコンクリート製の橋梁(黄ライン)を架けたものと変更になり、撤去、廃棄処分、
赤ラインのレンガ造りの橋脚もこの時に撤去されたとのことです。

赤ラインの橋脚・橋梁は最初は単線で開通。後に複線化で下り線に、三線化で上り下りの中線に、
再び複線化で今度は上り線にと、撤去されるまで大活躍でした・・・
今となっては、せめてレンガ造りの橋脚だけは残してほしかったですね。


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